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人見知りを治したい?いや、治さなくていいよ。

hitomishiri

 

ふと思ったんです。ぼくって人見知りだったよな〜、と。

というのも、ぼくは昔から、すでに出来上がったコミュニティに入るとか、初対面の人とご飯を食べに行くとか、もはや初対面だけじゃなくて、自分の中で親友と呼べる数人以外の人と2人で話すとか、そういうときにどうしたらいいか分からなくなって、ヘラヘラしてしまう。

でも5年前くらいかな、そんな自分が嫌になって、変えたいと思った。

サークルで人をまとめる立場を経験したり、コミュニケーション能力の高い人をこっそり研究してみたり、ひとり旅をしたりしているうちに、気づけば人と話すこと自体は怖くなくなって、「友だち」と呼べる存在もたくさんできていた。性格も明るくなったと思う。

でもやっぱり人見知りは治ってないし、今でも初対面とか苦手。ヘラヘラしちゃう。

 

人見知りは治らない

ぼくの中で、人見知りは「治すもの」じゃなくて「うまく付き合っていくもの」。もちろん、治せたらそれでもいいんですが。

実際、人見知りを治したくて「人見知り 治す」ってググったこともあるけど、その記事は人見知りじゃない人が書いたんじゃないかってくらい的外れだった。「知らない人に話しかけてみよう」とか「仲良い人だと思い込もう」みたいなアドバイスが書いてあって、そんなことできたら人見知りじゃないし、いくらなんでも無謀すぎる。そもそも子供のときにみんな終わってるであろう人見知りが、今も続いてる時点で簡単に治るわけない。

人見知りは治さなくていい。むしろ、うまく付き合っていけばもっといいことがある

 

人見知りであるメリット

人見知りは「話が続かなかったり、つまらないと思われるのがこわい。だから話せない」ってよく語られますが、ぼくはこれにすこし違和感がある。

たしかに、(そこまで仲良くない人と)話が続かずに沈黙になる恐怖や、おもしろくないと思われたくないという気持ちはあるけど、なんとなくしっくりこない。なんというか、友だちとか興味のある人には意外と自分から話しかけられたりしませんか

ぼくたち人見知りは、基本的に自分から話かけたりしないけど、その分よ〜く人を観察しています。人を観察する能力に長けているんです。それはもう、”ガサツなコミュ力モンスター"の何倍もの観察力があるんです。だからこそ、この人とは気が合いそう、とか、この人と仲良くなりたい、とか、この人なら話しかけれそう、というのを感じられば、自分からでも話しかけることができる。

ただ、会話で何となく気まずいのは、世間話とか「最近どう?」みたいな意味の薄い会話。でもそんなのできなくたって大ダメージではないし、そんなことよりも「人を観察できる能力」がある方が数倍オイシイから気にしなくていい。

 

人見知りとうまく付き合う

ただ、人見知りの人はもう一段階上のステップに上がらないとマズい。こんな言葉があるのかわからないけど「ネオ人見知り」にならないといけない。

要するに、人見知りの特徴を生かしたコミュニケーションというものを知らないといけないってわけ。ここからは、人見知りとうまく付き合っていくことに関して、実際にぼくが意識しているポイント。

 

ウワサや風評ではなく、自分の評価で付き合う人を選ぶ

人見知りの人は(何度も言いますが)人を観察する能力に長けています。

だから、上っ面の友情をふりまいてくる人が苦手。でもその分、その人のこと信じてたのに…みたいなことは滅多に起こらない。最初からそういう人のことは信じないほうがいい、っていう危機回避ができるから。なんとなくだけどね。

逆に、悪いウワサばかりの人も実はいい人だった、ということを見抜けることもある。 人見知りの人は、会話中にその人の本質を考えるクセがあるから、もっともっとその人のことを知れる。だから自分のセンスを信じて、一緒にいて楽しいと思える人と一緒にいればいい。いい友だちになれるはず。

 

相手の好きなところを探して伝える

これは細かければ細かい方が良い。それだけ相手のことを見ていないと相手の好きなところは言えないから、言われた方もより嬉しい。それで向こうが好きになってくれれば、人見知りにとってだいぶありがたい。こっちももっと好きになっちゃう。

ぼくがどんなに好き勝手生きていようと、離れずに応援してくれている人がいる理由はこれだと勝手に思っています。ありがとう。

 

結局はコミュニケーションの数

上2つが友だちとのコミュニケーションだとすれば、これは仕事でのコミュニケーション。

冷たい言い方かもしれないけど、「人見知りだから話せない」というのは仕事場では単なる甘え。人見知りでも、”喋ること"以外の能力が高ければ、人間関係は円滑に進むし、バカにされることもない。それを学ぶには、やっぱりたくさんのコミュニケーションの数をこなすことが重要。

そうしていくうちに、自分の成功体験が蓄積されて、人と話すことへの恐怖は薄まる。

 

人見知りは才能である

以前、南海キャンディーズの山ちゃんが「タモリさんにこんなこと言われた」って言っていました。

「“人見知りだ”って自分のことをマイナスに言うよりも“オレ人見知りできてる”って自信を持ったほうが暮らしやすいよ」

 

ぼくはこの言葉に救われた。ずっとコンプレックスにしか思っていなかった「人見知り」が才能になりうるんだって。これからもこの言葉を信じて生きていきます。

 

さいごに

ぼくは今でも人見知りは治らないし、初対面なんてヘラヘラしちゃうし、"コミュ力モンスター"に憧れはあるけど、何でも相談できる友だちが数人いるから満足です。

大切なのは、友だちの数じゃなくて、その友だちに心を許せるかどうか。

それくらい大切な友だちを作れるのは人見知りの人の得意分野だと思う。

今近くにいてくれる人を大切にして、いっぱい笑っていっぱい泣けるような人生を送りたいね。 ぼくもがんばるので、みんなもがんばろう。

 

なんか最後、友だちの話になっちゃた

 

 

 

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